つくばサミット弾圧救援会のブログ

5月24日早朝、私たちの仲間Aさんの自宅に突然押しかけてきた茨城県警つくば中央署は窓ガラスを割って強引に侵入し、家宅捜索をした上にAさんを建造物侵入容疑で逮捕していきました。私たちは茨城県警に対し強く抗議し、連れ去られたAさんの一刻も早い解放を求めます。 → 6月14日に解放されました!                 連絡先  メール tsukubakyuuen“あっと”gmail.com        ツイッター つくばサミット弾圧救援会 @tsukubakyuuen  

勾留理由開示公判 被疑者意見陳述

勾留理由開示公判 被疑者意見陳述(2016年6月8日、水戸簡易裁判所210号法廷にて)

裁判官:長坂和仁(水戸簡易裁判所

検事:大牧元 ほか一名(水戸検察庁

 

※私が推敲魔なのを知っている救援会から予め釘をさされておりますので、留置場内で準備した原稿をほぼそのまま転写しました(陳述時には読み飛ばした部分もあります)。法廷内に入った時、ちょっと信じがたい数の方々が傍聴席を埋め、声を上げて(!)応援して下さっている顔々を目の前にしたのは、心底うれしいおどろきでした。平日に地元から、さらには遠方からも駆けつけて下さったみなさまに心から感謝申し上げます。(水戸129番)

 

 

 序

(1)サミット・イベントは続いている

 つくば中央署に拉致され、現在水戸署の留置施設に監禁されております監禁番号129番です。時間がないので早口で失礼します。(傍聴席に向いて)本日はこのイベントにおいで下さいまして本当にありがとうございます。(向き直る)今日は主催は「G7茨城・つくばサミットを問う会」ではなくて水戸簡易裁判所ではありますが、この場は紛れもなく伊勢志摩サミット関連の催しとして開かれています。首脳会議は先日終了して、サミット本体の頂上の方での行事は一段落したわけですが、遥か下の方、ヒエラルキー・システムの末端と社会の底辺部が接しているここでは、まだまだ終わっていません。この事実に私が気付いたのは、今回私のために立ち上げられ、私としてはただただ頭の下がるような必死の奔走をして下さっている「つくばサミット弾圧救援会」、そこに賛同のお名前を連ねて下さっている全国の百近い個人・団体の方々から寄せられたメッセージの中にこういうものがあったからです:「あなたの獄中闘争は反サミット闘争の重要な一つとして闘われています!」 だから私は今日ここに一人で立っているのではありません。この公判を引き受けて下さった吉田さんはじめ三人の弁護士さん、客席の方々、救援会のみなさん、救援会に賛同し又この出来事に関心を払って下さっている全ての方々がこの集会に参加しています。なので私は救援会に寄せられ私まで届けられた数々のメッセージをできる限り引用しながらこれからお話したいと思います。

 

(2)問題の構図:二つの<公>(Administration / Public

 まず、この場では何が問われているのかを適切に構図化してくれているメッセージがあるのでさっそく引用します:「不正義がなされようとするとき、黙過せず声をあげることは人々に対する人の義務です[…]ということでAさんが3月18日に行った抗議行動は公務です。公務である以上、建造物侵入に問われるいわれはありません。[…]茨城県警は市民の公務執行を威力によって妨害したのです」。<公>という日本語がadministration(行政・当局・統治管理)とpublic(公衆・公共・公開)二つの意味を混在させている点を利用して、用語の意味をユーモア含みで反転させています。この観点からすれば、抗議者のpublicな公務執行に対してadministrationからの公務執行妨害または威力業務妨害が起こり、この場で問われているのは、では裁判所はどちらを正しいとするのか、ということであると整理できます。

 以下、この構図に従って、始めにadministrationの無法な暴力について、次にpublicのこれに対抗する力について、最後にこの事案の真の問題点についてお話していきます。

 

 

 1  Administrationの無法な暴力

(1)安倍の違憲・違法な行為

 さて今回の逮捕の理由は何か?建造物侵入などではないことは今さら言うまでもありません。抗議行動に対するadministrationからの報復であり、首脳会議直前の予防検束であり治安弾圧であり、メッセージを引用すれば「明らかに事件性がなく、政治活動への萎縮効果を狙った濫用だと思います。日本の状況はあまりにもひどい。厳重に抗議します」。G7各国の大使館員に対する面と向かっての抗議を許してしまったことに茨城県警は我慢ならないのでしょうが(どっか上のほうからお目玉でもくらったんでしょうか?)、直接行動による政治的主張を罰する法的根拠は当然存在せず、逆に「表現の自由」は基本的人権の中でも最重要なものの一つとして、憲法上はもちろん世界人権宣言でも国際人権規約でも厚く保障されています。が、引用します:「サミット首脳会議開催直前の令状逮捕によって、サミットが共有する価値観「自由・民主主義・法の支配・人権」が支配者にとって都合のいい場合にだけ使われるものだということがよくわかりました」。サミットが共有する価値観云々は安倍晋三の発言ですが、彼の口が「自由・民主主義・法の支配・人権」という単語を発するとは何とも冒涜的なことに感じられますし、これらの語の意味を間違いなく理解していない御本人を除いてこの発言を真に受ける人もどこにもいないでしょう。安倍の理解する「表現の自由」とは ―つくばサミット弾圧救援会の出した声明でも触れられてますが― 国会内で発言中の議員に対し「日教組~」と野次を飛ばすことを意味しますが、長坂さん、これは「表現の自由」ですか?(「私は意見を聞くだけです」とのお答え) 安倍はこの中傷発言について謝罪もせず何らの責任も一切取らず、また「法の支配」によって罰されてもいません。さらに今回の伊勢志摩サミットでは(メッセージ引用します)「安倍は伊勢神宮参拝という政教分離違反を堂々とやるくせに」、わたし留置場にいるので回覧されてくる読売新聞を通してしか分からないんですが、彼が憲法20条3項違反で逮捕されたというニュースは今のところ載っていません。これは読売新聞だからなんでしょうか?このことは問題にされていますか?

 

(2)G7と日本政府の違法性・違憲性・暴力性

 そしてG7です。G7とは、いま挙げた世界人権宣言・国際人権規約を出している国連とはちがって何の国際法的根拠もなく、全世界の約190カ国のうち僅か7カ国が自分達だけ合意して他の全ての国々を排除し、自国のまた多国籍資本のためのグローバル政治経済体制を構築しようとしている、文字通り世界最大の反民主主義的非合法武装組織です。だから私たちはG7の存在に反対しているので、この反民主主義非合法武装同盟が民主主義を騙るとは、G7参加国の一つであるこれまた世界最大の核保有国が広島で核廃絶を訴えるのと全く同様の厚顔無恥な破廉恥ぶりに他なりません。G7の権力の世界的行使は、「法の支配」ではなく「暴力の支配」によって推進されているのは明らかなことです。

 こうした安倍やG7の違法・違憲行為、暴力行為の中でも強調したいのは、このサミットの場において日本が安全保障・対テロ戦争の議論に参加すること自体が憲法9条違反であるという事実が指摘されている点です。特に80年代以降、日本政府は度々この致命的な違憲行為を意志して犯し、その結果として現在の状況に至っているのだということです。

 

 以上、G7・日本政府・安倍による一連の法の蹂躙はなぜ野放しにされているんでしょうか? 引用します:戦争犯罪と武器輸出を推進する「死の商人国家連合」の面々こそ、その責任を厳しく問われるべきではないでしょうか」。これら大犯罪に比して、いまここで問題とされている罪とやらのなんとセコイことでしょう! チャチ過ぎて情けなくなります。私たちの反サミット運動の取り組みを私は「ブラックホールvs蟻」だと称していたのですが、正しくそのような些少さ加減です。ホントにこんな代物がわざわざ弾圧する労に値するのでしょうか。引用すれば「この国にはプラカード一枚分の自由もない[…]私たちは民主主義国に住んではいないのだ(わかってたけどね)」とありますが、この国が民主主義国でも「先進国」でもないことは、ここに立っている私もよく知っています。

 

 

 2  Publicの抗する力

(1)Publicな力の例

 ではなぜ巨大犯罪の方は裁かず、代わりにそれを批判する一個人のちんけな表現の自由の方に司法は飛びつくのでしょうか? 答えは簡単明瞭、誰でも知っています。「暴力の支配」に「法の支配」が従属しているからです。権力および暴力装置を有するadministrationが、そんなものは有しないし有しようとも思わないpublicに対し無法なテロを加えてくるというのは、よくあるありふれた話ですらありますがしかし、引用します:「サミットに反対する集会・デモへの警察の過剰警備や活動家の不当逮捕が常態化しています。警察の言いなりで礼状を発布する裁判所も含めて、常規を逸しているとしか言いようがありません」。ここに、検察の言いなりで勾留状を発布する裁判所も含めたいと思います。

 

 にもかかわらず、administrativeな暴力に抗しようとするpublicな力の表現が絶えてしまうなどということもまたありませんでした。たとえば現在私が監禁されている水戸署の留置場には、今から84年前に山口武秀という人がぶちこまれておりました。山口武秀ご存知ですか? 山口武秀とは1915年、約100年前に現鉾田市に生まれ、生涯鉾田に住み続けた戦後最大の農民運動家・住民運動家です。山口先生のいらした同じ場所に84年後にぶちこまれる栄誉を私に授けて下さった茨城県警には、ゆいいつこの点だけはちょっとだけ感謝してもいいかなと思っておりますが、留置場で私は毎日『山口武秀著作集』(三一書房、1993年)を読んでおりまして、それによれば彼の結成した常東農民組合の小作農・貧農たちは地主の家、役場、税務署、茨城信金どこであろうがずかずか入り込みそこの一番のお偉方を引きずり出し直接抗議し直談判し、1954年3月8日には500余名で太鼓を打ち鳴らしながら県庁に突入し知事室を占拠して当時の友末知事をつるし上げ、友末知事はぶるぶるふるえながら「俺は気が弱いから」とつぶやき、そこに警察隊がやってきて退去命令を出しても誰もそんなものは聞きやせず、かつ誰一人逮捕などされませんでした。またちょうど先週の日曜の出来事でご存知でしょうが、これは相手はadministrationではありませんが、読売新聞の見出しに「川崎ヘイトデモ中止・数百人規模の市民らが阻止」とありました。これはヘイトスピーチ規制法があるとかないとか、神奈川県警と公安委員会がデモの許可を出したとか出さないとか、また神奈川地裁がデモ禁止を命じる仮処分を下したとか下さないとかいう話とは関係ありません。写真を見ると車道上に沢山の人々が座り込み寝転がっていてこれはpublicが実力でデモを阻止したということであり、いっぽう道路交通法違反で逮捕された人が一人でもいたなどとはどこにも書かれていなかったんです。

 

(2)当該事案の問題点

他にもいくらでも挙げられますが、これらの過去・現在の例をみるだけでも、この場で問題とされている事案の本当の問題点がどこにあるかが分かってきます。この件はいったい何が悪かったのか?―― 被疑者が一人だったのが悪かったんです。数百人いれば問題なかったんですよ。数百人で国際会議場のホールを占拠し、大使館員たちの入場を阻止して追い返すべきだったんです。そのような仕方ならば暴力装置も容易に手を出すことはできず、わざわざこんなイベを開く手間かける必要もないんです。これがこの事案に関する問題の所在であり、またこれを結論としてこの場に提出させて頂きます。

 

 

 結  反撃へ

 とはいえ、救援会と弁護士さんには申し訳ありませんが、今回の逮捕は悪いことばかりではありませんでした。地元のそして全国のたくさんの方々がこの出来事に関心を持って下さっています。次々引用します:「見えない所でこういう暴力が横行しているのですね。広く知らせて抗議の声をあげることが必要です。」;「この弾圧への反撃をきっかけに、日本における政治的自由と権利を巡る状況の酷さへの認識が、少しでも広まっていくといいのですが。」;「今回の暴挙を決して前例にしないように、抗議の声を形にして跳ね返したい」;「各地の当該と救援の人達がこういうことで益々強く結びついて行くのも見ている。すごく大変だろうが、みんなで貴重な時間を共有していこう。」そして茨城不安定労働組合:「私たちアンダークラスは数多くの戦いの記憶を思い出し、「失うものは鉄鎖のみ」とあらためて確認するでしょう」。私たちpublicの側からの反撃を次は一人ではなく数人、数十人、数百人で、望むべくば1999年米シアトルのWTO会議を中止へと追い込んだ数万人へと至る、administrationの暴力に屈しない力を、山口先生のおられたここ茨城で追及していきましょう。

 最後の引用です。これで終わります:「茨城県警つくば中央署はよく聞くように。建造物侵入っていうのは、個人宅の窓ガラスを``わざわざ``割って土足で踏み入るようなあなた達がやったことだから、勘違いするな[…]あと裁判所。警察とべったりで司法が独立していないのはわかってはいても目に余る。裁判所は今すぐ司法の看板を下げろ。恥を知れ!!!

 

水戸簡易裁判所が、「法の支配」を取り戻して下さるよう、私は求めます。(傍聴席に向いて)どうもありがとうございました。